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Monday, September 17, 2012

Steveston Guided Tour (夏限定のガイドツアー)

先日、夏限定で開催されているStevestonのガイドツアー($5)に参加しました。
約1時間ほどのツアーは、Steveston Museumから始まり、缶詰工場、ショップ、お寺、ホテルなどの歴史や物語を聞くことができます。

以下が内容です:

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Steveston(スティーブストン)の村の名前は、オンタリオ州のNew Brunswickから来た白人のManoah Stevesが由来となっています。彼は、子供6人を連れて1877年ごろ定住しました。

全体的に木の少ない湿地帯のStevestonは、Fraiser川からのサーモンが大量に捕れることがきっかけで漁業が栄えました。一番多いときでは缶詰工場が15カ所もあったそうです。当時を知る人にとっては、Stevestonは"魚臭い村、漁師ばかりいて荒れたバーがある"という印象があり、現在とは全く違うと言います。
漁業の繁栄を支えたのは、白人と当時和歌山県から多く移住してきた日本人、その後移住してきた中国人でした。
日本人は、器用で漁業を得意としたり、漁に行く船を作ったりとStevestonの歴史にも大変貢献しました。戦前には、Stevestonの人口は、約半数が日系人で、村のお店は約90%が日系人の所有だったそうです。このガイドツアーでは、いくつかのお店の姿、歴史、建物について説明がありました。

その他セルフウォーキングツアーの情報はこちら




(1) The Arts Connection
まず、Monctonと2nd Aveに近い場所にある、The Arts Connectionの建物の説明がありました。
ここは、1924年~42年まで日系人が建設したJapanese Buddhist Temple(佛教会)でした。
かわいい子供たちの姿も映った集合写真を見ると、戦前の平和な様子が感じられます。
戦後は、映画館になり、現在はアートスクールになりました。建物はほとんど建設当時のままだそうです。

(2) Village Bikes
同じMonctonにある自転車屋さんは、日系人の運営する床屋でした。Takasa Barbershopと言う名前だったそうです。居住スペースと仕事のスペースが両方ある建物になっています。

昔の交差点付近。

(3) No.1とMonctonの交差点とTram
現在、Stevestonのスクランブル交差点がある場所は、昔からStevestonの中心的な場所でした。
角にある公園には、路面電車の駅があり、バンクーバーのダウンタウンまで1時間、10セントで行けることから多くの人が利用しました。路面電車は、人を運ぶことはもちろん、マーケットまで新鮮な牛乳を届けたり、野菜や缶詰を運ぶ事にも利用されました。交差点のマクドナルドがある建物には、"Steveston Station"のサインが入っているのも見受けられます。

Steveston Park内にあった、Tramの写真です。

(4) Prickly Pear Garden Shop
このガーデンショップの建物も、とても古く、1910年ごろに建てられたままだと言います。
昔は、ボートのバッテリーを売るお店で、その後は機械を売るお店でした。1970年ごろからはガーデンセンターとなっています。私は良く行くお店の一つですが、中に入ってみるとはやり歴史を感じる空間で、床も歩くとギシギシと音がします。






(5) No.1 road drainage pump station
Richmondは、Dyke(破堤)に囲まれた島で。島全体は海水位と変わらないため、浸水しやすい環境にあります。そこで、多くのdrainage pump station(排水機場)が設けられて、雨の日には島の水を外へと送り込みます。


湿地帯の様子がよくわかる写真。真ん中の建物はStevestonです。

1918年ごろは、小さな船に2人の漁師がのり、Stevestonの港のすぐ近くにたくさんのサーモンがいました。

魚が捕れなくなってからは、大きな船にのり、何週間も遠くまで漁に出て収穫したそうです。

Fisherman's Whalfエリア。昔、たくさんの柱でStevestonのDykeが作られました。

(6) Gulf of Georgia Cannery National Historic Site
モンスター缶詰工場と言われた一番大きな缶詰工場は、唯一博物館として残っています。
1894年に建設され、1930年まで鮭缶を作っていました。ところが、あるときサーモンが毎年上っていくはずの上流に土砂崩れが起こってしまったため、サーモンがまったく捕れなくなってしまったのです。
15もあった缶詰工場はこれを気に閉鎖してしまいました。
当時働いていた多くの人たちは、白人、日本人、中国人がほどんどでした。仕事は、性別と人種ではっきりと別れていて、白人なら役職や会計などの仕事を、女性なら流れ作業の仕事、白人以外の男性は、サーモンを洗ったり、仕分けをしたりとハードな仕事しかできませんでした。

(7) Steveston Hotel
1895年に建設されたときは"The Sockeye Hotel"という名前でした。
外観は時代とともに変化してはいるものの、Stevestonにあった7つのホテルの内、ここだけが残っています。1Fのバーは、漁師の集まる有名な場所でした。

(8) Red brick building (Hepworth Block)
この建物は、1913年にヨーロッパから運ばれた赤レンガを使ってできた建物です。
1918年にStevestonには大きな火事がありましたが、それでも燃えることはなく残っています。
昔は薬局があったので、Steveston Drugsのサインは今も建物に残されています。


(9) Church
Chathmにある教会の建物は、1894年に建設されました。
当時の写真にも残る同じ外観が印象的です。教会のあとは、自転車屋さんに、現在は、Thrift Store(リサイクルショップ)として営業してます。

(10) Big Red & the Park
赤い毛が特徴の犬Big redは、Stevestonに住んでいた犬です。
誰に飼われるでもなく、自由を好み、村の人に愛されるStevestonのアイドルでした。
彼が亡くなった後、Steveston Museumのとなりにある公園には、彼の記念碑が作られました。


Steveston Museumとなりの公園。

(11) Steveston Museum & Post office
Post officeは、Steveston Museumとして、そしてインフォメーションセンターとして営業しています。



Monday, September 10, 2012

Cannery Cafe (カフェ)

Cannery Cafeは、Stevestonのポストカードにも載るほど歴史のある建物です。
1890年に建てられた建物は、当時の缶詰工場で働く人々のレストランとして営業していました。
現在のカフェは、1984年から営業しているようです。
他にも、映画やドラマの撮影に使われたりするので、Stevestonでは有名なカフェとして知られています。

メニューは、サンドイッチと朝食が有名で、個人的には大きくてもっちりしたシナモンロールも大好きです。正面の入り口は階段がありますが、建物の左側にスロープがあって、車椅子、ベビーカーでもスムーズに中に入れます。
まさにStevestonらしいカフェです。

MAP - Moncton & Second Ave近く



晴れてる日は、外に座るのが気持ちいい。

私は、ツナサンドが好きです。キュウリやトマトも分厚くカットされて美味しいです。デリスタイルで、カウンターでパンの種類と中に入れる野菜を選んで、払います。頼めば、無料でお水ももらえました。

Thursday, August 9, 2012

Steveston Tram (スティーブストン路面電車)

Stevestonの公園の線路をずっと歩いてみたら、しばらく先にまた線路が現れました。
部分的に残してある部分と、住宅地に入る部分があって、昔の面影が少し感じられます。
せっかくStevestonからVancouverまで電車で行けたのに、車社会になったことが理由で路面電車の線路までなくしてしまうとは、なんて悲しいことでしょう。

幸い、保管されている路面電車をPublic ArtプロジェクトとしてSteveston公園の入り口付近に復元することになっています。
完成が楽しみです。

MAP - Moncton & No.1近く。公園の線路をずっと右方向へ進んだ先、Railwayまで歩けます。











Sunday, February 19, 2012

Chinese Bunkhouse (中国人労働者の宿舎)

Chinese Bunkhouseは、昔の缶詰工場や漁師として働いていた中国系移民の住まいでした。
2階建ての建物は、多いときで100人の人が住んでいたと書いてあります。中にはそれは小さな2段、3段ベッドがたくさん置いてあります。人種差別や、賃金も安い中国系移民の昔の生活はたくさんの物語がありそうです。

MAP - ブリタニアシップヤードの一番奥に位置しています















Britannia Heritage Shipyard (ブリタニア遺産造船所)

ブリタニアシップヤードは、観光地としても有名で19世紀には多くの日本人が働いて生活をしていました。漁師の村で、船大工で有名な村上音吉の旧宅があります。(Murakami House)
まるで美術館のように、建物と中の様子が保存されているので、昔の生活を実体験できます。









インフォメーションとギフトショップ。Murakami Houseは、ここでスタッフにお願いすると開けてくれます。


昔のキッチン!はじめて見ました!













Sunday, November 20, 2011

Murakami House (村上家の旧宅)

Murakami Houseは、Britania Shipyard (ブリタニア造船所)の近くにある日本人家族が住んでいたお家です。
1885年に建てられたこの家は、1929年〜1942年まで村上家が生活していて、
10人の子供を育てました。
現在、文化遺産の一部として、Murakami Houseを見学することができます。
また、2001年にはドキュメンタリー映画も作られ、村上ファミリーについてそして昔の生活を詳しく知ることが出来ます。




Asayo Murakami Story